こんにちは!
「話せる英語を身につけるブログ」のmioです。
このブログへ辿り着いてくれた人は、皆さん
「英語を話せるようになりたい」
と言う共通の気持ちを持つ人だと思います。
ではそんな夢を持つ皆さんに聞きます。
普段勉強していて、
「これは手応えがある!」
「この調子なら話せるようになりそう!」
と思う事、ありますか?
私は10年以上英語を勉強していますが、こういう風に感じたことはほとんどありません。
むしろ、勉強すればするほど
「いやこれ無理でしょ…」
と思うようになりました。
今日は、私がそのような状態から英語を話せるようになるまでの心の葛藤や、
どのようにしてその葛藤を乗り越えてきたのかをお話して行きたいと思います。
ちなみに私mioの英語はこちらから聞けます↓↓
それでは、一緒に学んで行きましょう!
ワクワクで始めた英語学習だけど…
まず私は、21歳の時にイギリスへ9ヶ月の語学留学へ行っています。
「英語話せたらかっこいいなぁ~」
となんとなく思い、そして
「一年弱イギリスに住めばある程度話せるようになるよね」
と楽観的な気持ちで渡英しました。
しかし実際にイギリスへ渡り現地で本物の英語に触れると、これまで自分が学んできた英語とは全く別なものに触れているような、全く予想外の感覚を体験しました。
現地で話されている英語が思っていたよりも100倍聞き取れないし、自分の英語は思っていたより100倍通じなかったのです。
これまで習っていたものは一体なんだったんだ?!
と思うくらい衝撃的な体験でした。
そこで英語熱に火がついたのです。
「絶対に英語を話せるようになってやる。まずはこの9ヶ月間で行けるところまで行くぞ。」
と、若さゆえのパワーも相まって物凄く前のめりになり、やる気に満ちていました。
この頃は何よりも、「英語を話せる自分」と言う将来の可能性と希望にとてもワクワクしていましたし、夢でいっぱいでした。
英語があまりにも出来なくて恥ずかしかったり多少の辛い思いをしても、夢や希望の方が大きかったのでへっちゃらでした。
しかし、その希望はだんだんと打ち砕かれることになります。
イギリスではもちろん毎日英語を話すようにしたし、帰国し日本で就職した後も毎日毎日英語の勉強やスピーキングの練習を継続したにもかかわらず、一向に自分の英語に変化を感じられなかったのです。
そりゃ、多少は話すことには慣れてきたし、なんとなく聞き取ることも出来ていましたが、「英語を話せる自分」の理想像には全く達していませんでした。
話せば途端に詰まるし、時制は間違えているし、超基本のheとsheはごっちゃになる。
外国人と話してもうまく言いたいことが出てこず、途中で何を言いたかったのかすらわからなくなり沈黙、そしてグダグダに。
「なんでこんな簡単なことさえ出来ないの?!」
と自分にいつも苛立っていたし、枕に顔を埋めて叫びたいくらいいつも腹が立っていました。
これだけの時間とパワーを費やしても満足に話せないことはおろか、
「もう少しで話せるようになりそうだな」
と言う感覚のカケラも掴むことができなかったのです。
そして、本気になって英語を勉強すればするほど、その底なし沼の深さに気付き始めたのです。
英語を始めて4年ほど経った時でした。
英語というモンスター
それは、やればやる程、深い深い英語の沼にはまっていくような感覚。
絶対に出口にたどり着くことのない、長い長いトンネルのようにも感じました。
始めたころはわからなかった、英語というモンスターの途方もない深さに気づき始めたのです。
何もわからない時の方が幸せでした。
あの時は、英語をペラペラ話すカッコイイ自分を想像してはワクワクできた。
しかし英語を知れば知るほど、その壁の高さに絶望すら覚えるようになりました。
ドラマを見れば、たったの一言すら聞き取れない。
英字幕をつければ、初めて見る単語ばかり。
あんなに単語帳をボロボロになるまで使い込み、手が痛くなるほどノートに書き込み覚えた単語は会話で一回も出てこない。
なんだこれは?
これを本当に言語として操っている人たちがいるの?
と思うほど、私には手も足も出ない世界だと痛感したのです。
いくらやっても、この人たち(ネイティブ)の使っているボキャブラリーやフレーズ、スラングの数に追いつける事はない。
アマチュアがオリンピックを目指すような事をしようとしてたんだ。
そう悟りました。
この時点でほぼ「英語を話せるようになる」という事は無理だと思ったのが正直なところです。
しかし、そこで終わりませんでした。
ここからが巻き返しです。
絶望の中で新たなステージへ挑戦
ここからが、英語学習の真髄です。
最初は誰でもワクワクキラキラ楽しいもの。
そこから「あれ…?これ無理なんじゃ…」と絶望してからが本当のスタートです。
絶望の中で私は、それまでのやり方では目標まで到達できないと確信しました。
そこからはそれまでの勉強のやり方を一旦見直し、
「読む・書く・問題を解く」
などの一般的な勉強法をほぼ0にし、「使う」にシフトしました。
それまでもスピーキング中心に練習してきましたが、更にここからは本格的に英語を「使う」を意識。
イギリスで半年間ほどインターンシップに参加したり、国際交流が目的のmeet upイベントで知り合った人たちと英語で話したり、遊びに行ったり、とにかく
「机に向かって勉強」よりも
「使う」
を意識しました。
「えっいきなりインターンできるなんてやっぱりmioさん英語話せたんじゃん!私とは違う…」
と思うかもしれませんが、全くそんなことはありません。
「できなくても始めた」
というのが正しい説明です。
全然思うように話せないし詰まりまくり、イギリス人上司の言っていることを理解するだけで頭が爆発しそうになりました。
メールの整理をするだけなのに3日寝ずに働いたかのような疲労感で、帰宅後はぐったり。
それほど頭をフル回転させても、恐らく半分くらいしか英語を理解できていなかったです。
これまでの「読む・書く・問題を解く」と「使う」では、天と地ほど差がある事に気付きました。
ちなみにインターンを半年やった後も、まだまだ英語は詰まっていました。
そこで私は更に負荷をかける行動に出たのですが、これが転機だったようです。
英語モンスターからの解放
インターンも終わり、日本で再び就活を始めましたが、狙うは「外資」または「英語で働ける環境」一択でした。
あれだけ脳みそをいじめ抜いた後でしたが、更に負荷をかける道を選択しました。
無事IT外資からジョブオファーをもらい、いよいよ英語環境で正社員として働くことになります。
私が外資系でどのように働いていたかはこちらにも詳しく書いてあります:英語を使って働くということのリアル
流石にここまで来ると、「できない自分」というのに慣れてきます。
英語がわからなくても、言いたいことがうまく言えなくても、最初の時のようにいちいち凹んだりはしませんでした。
それよりも目の前の仕事をこなすことや、相手に意見を伝えることで必死。
つまり目的が「英語そのもの」から「英語を使って何かする」に完全にシフトしきっていました。
「読む・書く・問題を解く」という勉強法を0にし、「使う」ことを始めようとしてから数年。
自分の英語の完成度よりも、仕事を遂行すること、人と気持ちよくコミュニケーションを取ることが真の目的になり、英語そのものの質に囚われることがなくなりました。
そこで、英語に対する感情がとても軽く楽なものになっていたことに気づいたのです。
ここでやっと、英語モンスターから解放されたと感じました。
最初に留学に行ってから7年ほどが経過した時期です。
「理想の英語じゃないけど、まぁいいや伝わってるし!」
と肩の力が抜け、英語そのもののは完全に二の次に。
親しい友人には「なんか英語に全く興味なくなっちゃった」と漏らしたこともありました。
そんな中、私はその会社で毎日英語シャワーを浴びながら数年身を呈して働くことになります。
気付けば正真正銘の英語話者に
英語に対する「できない」という劣等感や悔しさを一旦忘れ、目の前の仕事を必死でこなし続けた数年間。
気付けば、誰がどう見ても英語をほぼ不自由なく話している自分がいました。
会話がどう転んでも大体軌道修正できるし、知らない単語があっても前後から意味を推測できたり、それが無理でも自然に自分の理解度を確認する方法も知っている。
その辺りから「私は英語を話せる」と自覚するようになりました。
それまでずっと英語を勉強していて、そのように思ったことは一度もありません。
周りにどんなに「英語うまいね」と言われても、自分の実力は自分が一番分かっていました。
しかしそんな苦しみを乗り越え、ついに「私、英語を話せる!!!」と思えるようになったのです。
まだまだ勉強することは山ほどありますが、最初に
「英語を話せるようになってやる」
と描いた理想に限りなく近い状態にまで持ってこれたと思っています。
ここまで約10年を費やしてきました。
無理じゃない。できる。
つまり、無理じゃないのです。
英語は、話せるようになります。
大人になってから始めたとしても。
人生のほとんどを海外で過ごすという環境にいなくても。
「でも10年も継続してできる気がしない…」
と思う人もいるかもしれません。
10年の学習歴とは言いましたが、寝る間も惜しんで朝から晩まで英語を勉強する日々が10年あったわけではありません。
集中的に英語シャワーを浴びたような時期もありますが、普通に日本で暮らす20代の社会人として日系企業で仕事もしていましたし、飲んで遊んでという日々も普通にありました。
特に英語を話す相手もいない中、ほそぼそと英語を続けていた時期も同じくらいありました。
そしてその大半は「無理」と思ってました。
そんな中大きな鍵となったのは、「絶望の中でも自分に負荷をかけ続けたこと」です。
何年かかるかなんて全然わかりませんでした。
あとどのくらいやればどの程度まで行けるかも、全くわからずに走り続けなければいけませんでした。
そんな私からすれば、
「これもう無理っぽいな…」
と、英語モンスターに圧倒されて絶望する感覚は本当に痛いほどわかります。
私も何年もそういう状態で諦めかけました。
でも、言うなればそこが真のスタート地点です。
そこで辞めるか辞めないか。
さらに負荷をかける気力と体力を絞り出せるか。
これが私の人生の大きな分かれ道でした。
さて、あなたならどうしますか?
このブログを書いているmioです!
成人を過ぎてから英語を始めても、「話せるように」なりました。
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